『コンビニ人間』読書感想文

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久しぶりにこんなに速いペースで本を読んだ。

1日で読了するなんて珍しい。

それほどまでに引き込まれ、続きが気になるような1冊だった。

感想文

※ここから先はネタバレを含みますのでご注意ください。

 

感じたのは、誇張されたリアル。
「枠に当てはめる、標準化・一般化される世の中」

主人公の古倉は、いわゆる普通の人間からは明らかにかけ離れている。
その普通との乖離に、周りの人は興味を持ち、意見をし、排除しようとする。

その排除の様子は極端であり、読者として本を通して見ると非常に不愉快なシーンの数々だった。
それぞれの登場人物が、さも自分が世の中の代表であるかのように、意見をしている。
間違っているか、人を傷つけているかもしれないか、なんて全く疑う様子はない。

さらに特徴的なのは、みんな攻撃をしているようではあるものの、
「あなたのため」を押し付けてきていること。

それぞれが自分の意見を100%の正義だと信じて疑わない結果、
その意見に従わないことはあなたのためにならないのであると疑わないことに繋がっている。

一方で、主人公の古倉は自分の意見は一切なく、
生活の、人生の、判断基準をすべてコンビニに委ねている。

コンビニで「コンビニ店員」として働くためだけに生活をして、生きている。
現に、コンビニを辞めた後の主人公は何をしていいのかが分からなくなり、
寝る事、起きる事さえもままならなくなっていた。

このことは、世の中の「右向け右」の文化を象徴しているようにも感じた。

今回の主人公はある意味、思考が特殊ではあるものの、
自分の意見を持たず、人に委ねて生きる人は非常に多いように感じる。

それはコンビニのようにマニュアルがあり、
学校のように答えがあり、
その枠に当てはめ、外れるものは修正、もしくは排除される。

この環境で育つことにより「自分の意見」は消えていき、判断基準は自分の外側に出ていく。

主人公を枠に当てはめにいこうとする周りも、
全てをコンビニ基準で生きる主人公も、
標準化・一般化させる世の中の風潮が生んだ結果に感じてしまう。

ある意味では、明らかに主張の歪んだ白羽が正しいことを言っているように感じる。
周りを枠に当てはめ、そこからはみ出たものを攻撃する。
当たり前を基準にして、それ以外はだめだ!ということは、
縄文時代から変わっていないという主張はある意味正しいような気もする。
大前提、白羽は言っていることが全く矛盾し続けているので養護する気にもなれないのだが。

 

世の中のいわゆる「普通」にしても、
「コンビニ」にしても、
人はその基準をもって、行動する。

その基準は人それぞれなはずなのに、
標準化しようとする。

その基準は自分の行動の基準にするべきであり
他の人に押し付けるものではない。
そう感じた。

この枠に当てはめがちな世の中を誇張してはいるものの
リアルに感じられる1冊であった。

 

好きな一節

大学生、バンドをやっている男の子、フリーター、主婦、夜学の高校生、いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されていくのが面白かった。その日の研修が終わると、皆、制服を脱いで元の状態に戻った。他の生き物に着替えているようにも感じられた。

コンビニ人間 / 村田沙耶香

まずは単純に面白い考えだと思った。

確かに決められたマニュアルの中で、決められた恰好をして、過ごしているのであればそれはもうその人ではないのかもしれない。

いろんな人がいるのに同じものになっていく。
それを別の生き物に着替えるという表現は非常に面白く、的を得ていると感じた。

まさに、標準化された世の中の縮図のよう。

一方で、その「誰がやっても同じ」とこからいかに自分の価値発揮をしていけるかが
自分の存在意義であるのではないかと思っている。

決められた枠の中で、決められたことをしようとしても、
人間にはどうしても、はみ出る部分がある。

それがその人なりの個性であり、存在意義なのではないかと思う。

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